ネット上で「正義中毒」という言葉が注目を集めています。
脳科学者の中野信子さんは、人を許せない気持ちが増幅していくことで正義中毒の人が増えると警鐘を鳴らしています。
新型コロナウィルスが猛威を振るい終息の兆しが見えない中、不安定な気持ちになっている人が多いですよね。
今回は、正義中毒と批判の違いについてネットの声をまとめていきたいと思います。
正義中毒とは?
「正義中毒」というパワーワード。人を許せない気持ちが増幅、か。 https://t.co/vUEDan5fxy
— Roppyaku Tsurumi (@tsurumy) April 9, 2020
脳科学者の中野信子さんが今後さらに増えるかも知れないと危惧している「正義中毒」。
「自分は絶対に正しい」、「他人の言動が許せない」という感情が引き起こす、激しいバッシングやハラスメントです。
相手の過失に強い怒りを感じ、日ごろは使わないような激しい言葉で罵り、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられない。
これは「正義中毒」というべき一種の依存症状で、自分が属する集団を守ろうとする脳の仕組みが関係していると中野さんは話します。
引用:MYLOHAS
新型コロナウィルスの脅威にさらされ、感染への恐怖…
外出自粛に続く、緊急事態宣言…
特殊な状況下に置かれている今、普段なら冷静な人も心が不安定になりやすくなっています。
なぜこうしたことが起きるのか、それは「絆」を強めるためです。
協働して困難を乗り切る戦略が必要で、個人よりも集団の意思決定を尊重することが求められてきたという背景があります。
自分の意思を抑えて集団の存続に協力しているからこそ、「好き勝手」に生きる人が許せない。
そこから生まれる「正義中毒」は、個人のルサンチマンに起因するとともに、集団を守ろうとする脳の働きでもあります。
引用:MYLOHAS
危機的な状況になればなるほど、誰かを叩くのは「世のため」と正義中毒に陥りやすいと語っています。
日本は特に集団の和を乱す人を許さない傾向があるので、正義中毒という心理状態になりやすいのかもしれません。
正義中毒と批判の違いは?ネットの声
人を許さない気持ちが生み出す正義中毒。
しかし、全ての批判を正義中毒と言えるのでしょうか?
社会・集団から外れた行為をした個人等への度を越した非難に対して「正義中毒」という単語が生まれたという認識でいるけど、批判全般に対してこの言葉を振りかざすのは違うと思う
この単語を過度に用いた結果自分自身が「正義中毒」にならないように— すかい (@sk1ai) April 10, 2020
正義中毒の記事、主張自体はすごく同意できるし、行きすぎた正義がただの暴力となって散見されてる現状、留めておいた方がいい意識なんだけれど、何事も同じように、「正義を語るから悪」なのではなく「正義中毒が悪」という意識を持って「正義を揶揄/批判する正義中毒」にならないようにしてほしい
— 倫(おさむ) (@36wipe) April 10, 2020
「批判」と「正義中毒」の境界は難しいけど、個人的には「相手に言動の改善を求める」のが「批判」で「相手の心身を叩き潰したいだけ」なのが「正義中毒」だと思う
— 相葉未来 (@miraiaiba089) April 10, 2020
いまちょうどトレンドに正義中毒という言葉が入っているので該当記事を読んだ。正義中毒なのかも、と自分を振り返ることと権力者に対して批判の声をあげることは両立するのにやっぱり批判するのは間違いだ!と結論づけてしまいがちなんだよね。
— ふじお (@fujio0311) April 10, 2020
正義中毒なんて言葉がバズってるが、これ別に批判するなよってことじゃなくて思考停止したように批判ばっかりするんじゃねぇーよって事ですよね。
— kiseki@クイズとお笑い (@toudai_king_fun) April 10, 2020
別に批判することは問題ないと思いますが、それと自分が絶対に正しいと思い込むのは別ということですね
SNSは自分と考えの近い人で固まりやすいため、このら正義中毒状態になりやすい環境とも言えます— 理菜 ショート一成くん応援 (@rina_wantun) April 10, 2020
正義中毒なる命名によってますます我々は冷笑的になり声をあげねばならぬ人たちを「中毒者」扱いして黙殺していくんだと思うよ。強力な批判、ってあっても良いんだよ。我々が丁寧に排除すべきなのは無闇な罵倒と侮辱、意見を立場にすぐ結びつける判断であって、批判そのものや意見じゃない。
— 東京メタルシティ⚡️💥 (@tokyometalcity) April 10, 2020
具体的な理由もなく叩いてるだけなら確かに良くないかなって同意するけど、正義中毒だとか言って「批判」全てを一括りにして批判はよくないみたいなこと言って、批判のない優しい世界がいいみたいな意見には賛同できない。
批判のない沈黙した社会が健全な社会なのか疑問。
— 凪🍩 (@nagitoiimasu) April 10, 2020
「ヘイトはいけない!」って人が、憎しみをむき出しにして「ヘイターを吊るせ!」って叫んでるのを見ると、憎悪を拡散してるのはあんたたちでしょう、と言いたくなるんだよね。そして「我々に同調しない者、批判するものもヘイターだ!」と言い出す。正義中毒もたいがいにして欲しい
— 音楽ナスカ (@m_nsc) March 17, 2019
ネットにどっぷり浸かると正義中毒になり始める感覚がある…。多分自分が傍観者だからなのだろう。傍観者は必ず行動する人間を批判する。行動する人間には粗がでるしな。一方で自分が悪にはなりたくないので、行動的にはならない。
しかし批判されてもやらねばならんときはあるのだ…。
— タイフーン悪代官 (@ramen19620213) January 30, 2020
全ての批判を一括りに正義中毒と言える訳ではないという意見が多くありました。
誰かを精神的に傷つけようとするだけの批判や、自分の発言が絶対に正しいという思い込みの上での批判は正義中毒になりうるかもしれません。
まとめ
今回は、正義中毒と批判の違いについてネットの声をまとめました。
SNSが広く普及して、一個人の発言が世間を揺るがすような自体に陥る場合もありますよね。
無意味に他人を陥れたい、精神的に傷つけたいというだけの発言は正義中毒状態となっているかもしれません。
新型コロナウィルスの影響で人々の心が揺らぎやすい不安定な状況なので、1つ1つの発言が発信しても良い内容なのか?を今一度考えなければいけませんね。
最後までお読み頂きありがとうございました!